第7話 「Zefiro torna:西風もどり」第10回演奏会より

フランチェスコ・ペトラルカの詩集「Rerum vulgarium fragmenta :断片詩集」は1501年に詩人ベンボBemboが出版し、16世紀のペトラルカブームを生みだしました。その中には366編の詩が収められ、本日演奏致します「Zefiro torna」は、310番目の詩です。詩集の前半(第1〜263編まで)は恋人ラウラの生前の話であり、後半(第264〜366編)はラウラが亡くなった後の話です。前述しましたがラウラとは、1327年アヴィニヨンの聖クララ教会で運命的な出会いをした女性であり、俗世的な生活に没頭していたペトラルカを信仰へと導いた恩人でもあります。研究者らによるとペトラルカの生涯には3つの転機があったといわれます、1つは少年期にキケロの文章と出会いラテン語の古典文学に目覚めたこと、2つめはこのラウラと出会い信仰への回心をしたこと、そして3つめはアウグスティヌス著“告白”との出会ったことです。

Zefiro torna e’l bel tempo rimena, (A) 西風が戻り、晴天がやってくる
e i fiori e l’herbe, sua dolce famiglia, (B) 花と新緑、その優しい仲間、
e garrir Progne e piange Filomena, (A) 鳴くのは燕、泣くのは夜鶯
e primavera candida e vermiglia, (B) 白や赤に飾られた春が廻ってくる
ridono i prati e’l ciel si raseerena, (A) 草原は笑い、空は澄みわたる
Giove s’allegra di mirar sua figlia, (B) 木星は娘を見つめて喜び
(木星と金星は春の夕空に輝き)
l’aria e l’acqua e la terra è d’amor piena, (A) 空と海と大地には愛が充ち
ogni animal d’amar si racconsiglia, (B) すべての生き物は愛をかみしめる
Ma per me, lasso, tornano i pieù gravi, (C) しかし私には悲しみが重く廻り
sospirir che dal cor profundo tragge, (D) 心の奥からわき上がるため息、
quella ch’al Ciel se ne portò le chiavi, (C) 私の心の鍵を携えて天国へ逝った彼女
e cantar augelletti, e fiorir piagge, (D) 小鳥のさえずりも、丘に咲く花も
e’n belle donne honeste atti soavi, (C) 気品にあふれた美女たちも
sono un deserto e fere aspre e selvaggie. (D) 不毛の地、荒れ狂う野獣にしかみえない

イタリアの韻律法

まず詩の形式の話です。左の対訳をご覧ください14行で構成され、各行の音節はすべて11音節です。しかも各行の最後のことばに注目すると、アクセントのある音節の母音より後ろはすべて同じ「つづり」が隔行で登場することにお気づきでしょうか。1行目の最後のことば「rimena」のアクセントの後ろ“−ena”の部分です。3行目の最後filomenaも“−ena”で終わりますね、5行目も7行目も同じく“−ena”で終わります。同様に2、4、6、8行目は“−glia”で終わり、交互に同じ音を繰り返します。これを「韻脚la rima」といい、1行毎に交互に同じつづりが出現する押韻型を「交代韻」といいます。詩の行末に韻脚を踏むと行の長さ(音節数)を正確に把握できる利点があり、当時は紙が貴重で非常に高価でしたから、行間を区切らず記載することもあったようです。イタリアの韻文の法則は「韻律法la metrica」とされ、イタリアの古典歌曲や歌劇のアリアの一部にもみられます。

一行の音節を一定数に保ち、なおかつ韻をそろえて詩を書くとは至難の業だと思うのですが、この程度の巧みさは兼ね備えておかないと「人文主義者」と呼んでもらえない時代だったのでしょう。

歌詞とギリシャ神話

つぎに詩の内容ですが、この詩は前半8行と後半6行の2つに分かれます。前半は西風が吹いて地上に春が訪れ、風のざわめき、波のさざめき、鳥の鳴き声に生命力と愛情に満ちた光景を歌い上げます。一転して後半は悲しみに満ちた作者の心情描写です、私の心の扉を開く鍵である恋人は天国へ召され、心は未だに重く沈んだままだと嘆きます。大意それでよろしいのですがもう少しキーワードを読み解いてみましょう。
数多の鳥の中で、燕(つばめ)と夜鶯(ナイチンゲール)が登場するのはなぜでしょうか?
その答えはギリシャ神話にあります。“アテナイの王パンティオーンの娘ProgneプロクネーとFilomenaピロメーナは、怒り狂った姉の夫テーレウスから逃れるため、神の力で「燕」と「夜鶯」に変身した”というギリシャ神話にちなんで燕と夜鶯を登場させたのだと思います。

次に、Giove木星とその娘figliaとはどういう意味でしょうか?
木星は全能の神ゼウス、その娘は「ヴィーナス:美の女神」です(ギリシャ神話ではアフロディテに相当します)。天文学で金星はヴィーナスですから、“空には木星と金星が輝いている”の意味になります。でもヴィーナスは海の泡から生まれたのではないか?と疑問をもたれる方もおいででしょう。確かにヘシオドスの「神統記」では父ウラノスの体液の泡から生まれたとあります。しかし、当時ペトラルカが入手しえたギリシャ神話はホメロスの2大叙事詩「イリアス」と「オデュッセイア」のラテン語訳であったと思われ、この本の中でゼウスとディオーネの間にヴィーナスが生まれたとあります。ルネサンスの代表的な絵画、ボッチチェリの「ヴィーナスの誕生」では海の泡から愛の女神は誕生し、この絵画は1486年頃の完成であり、この間にギリシャ神話に関する新たな書物のラテン語訳が完成したのかもしれません。

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