第11話 「バビロン川のほとり」第8回演奏会より

バビロンの町は現在の世界地図ではイラクに位置します。今世紀アメリカとイギリスによる空爆が行われたことでまだ記憶に新しいです。その一方、昔…♪砂の嵐に隠されたバビルの塔に住んでいる♪…という主題歌がどこからか聞こえてきそうです、確かバビル2世というアニメ番組でした。バビロンといえばつい思い出してしまいます。

話を本題にすすめましょう。この地域は人類史上最初の文明が誕生したことで有名です。

「メソポタミア文明」です。どれくらい昔かといいますと、(紀元)前3500年ともいわれていて、今から約5500年も前になります。この文明の担い手はシュメール人で、月の満ち欠けによるこよみ「太陰暦」を使用し、時の単位には「60進法」を採用し、また「くさび型文字」を発明し、ハンコ印鑑を使用していたされますから、驚愕です。われわれの生活に今もなお多大なる影響を及ぼしているではありませんか。

メソポタミアmesopotamiaの語源を調べますと、メソmesoは「~の間」、ポタムpotamは「川」を意味します。直訳すると「川の間」、つまりティグリスとユーフラテスの2つの河川の間の地域を示します。ティグリスTigrisとは「矢のように流れが速い」、ユーフラテスEuphratesとは「穏やかな流れ」の意味です。この2河川の流域は当時本当に豊かで肥沃な三日月地帯と呼ばれます。農作物の収穫に恵まれ、人類初の文明を生みだす程に豊かであったと考えられます。旧約聖書の中のアダムとイヴが登場するエデンの園(ミルトンの失楽園)は当時この地域に存在したと言われていますし、ノアの方舟で知られる大洪水もこの流域で実際に大氾濫が起こったことが「ギルガメシュ叙事詩」に記されています。旧約聖書の「創世記」とゆかりの深い土地といえます。ただ旧約聖書が成立するのはそれからかなり時間が経った 前1000年以降と考えられていて、ヘブライ人によって記載されました。ヘブライの人々は元来メソポタミア地方からエジプトにかけた地域を移動する遊牧民でした。一部の集団は前1300年頃にパレスチナ(カナーン)に定住し始めたそうですが、一部のエジプトに定住していた集団がファラオからの迫害を逃れるためにモーセに率いられシナイ半島へ移動します、「出エジプト記」です、モーセはシナイ山へ登りそこで神(ヤハウエ)からの啓示「十戒」を授かります。そしてヤハウエ神の崇拝と戒律により民族意識が高まり、前1000年頃についにヘブライ王国を建設するに至ります。イスラエルの12部族が1つに統合されたので「統一王朝時代」とよばれ、ダビデ王とソロモン王の時代に黄金時代を迎えました。その後、南北の民族対立によりヘブライ王国は分裂します(北のイスラエル王国と南のユダ王国)、国力は衰え、北のイスラエル王国は前722年にアッシリアにより滅亡、南のユダ王国は前587年に新バビロニア帝国により滅ぼされてしまいました。この結果、首都エルサレムの市街や神殿はことごとく破壊されつくし、人々はバビロンに強制移住させられます。これが「バビロン捕囚」の始まりです。この大きな不幸の渦中にあってもなお、これはきっとモーセの戒律をまもらずヤハウエ神への信仰が足りなかったために授かった神からの試練であるとヘブライ人は考え、深く反省します。その結果、神への信仰をさらに強め民族の団結を強くしたと伝えられています。

 バビロンの流れのほとりに座り
 シオンを思って、私たちは泣いた。
 竪琴(たてごと)は、ほとりの柳の木々に掛けた。
 わたしたちを捕囚にした民が歌をうたえと言うから
 私たちをあざける民が、楽しもうとして
 「歌って聞かせてよ、シオンの歌を」と言うから。
 どうして歌うことができようか
 主のための歌を、異教の地で。  (詩篇137章1節―4節)

本日の演奏曲「バビロン川のほとり」はこのバビロン捕囚時代の話です。 自分たちの祖国を滅ぼし神殿を破壊した敵国の人を楽しませるために、どうして神様にささげる大切な音楽を演奏することが出来ようかとうたいます。捕虜の身分でありながら命令を拒否すれば殺されることもあり得ること。柳の木に楽器を置く行為は、すなわち死を覚悟したと解釈でき、神への信仰と民族の誇りを貫く決心のあらわれです。

旧約聖書に描かれるイスラエルの民の苦悩を通して、救世主キリストの到来を待ち望む思いが切々と伝わってくる名曲です。作曲者はルネサンス最大の作曲家であり「教会音楽の父」と評されるパレストリーナ(ジョヴァンニ・ピエルルイジ・ダ・パレストリーナ:1525—1594)であります。

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